民団青年部が、在日朝鮮人1,500名に下記のアンケートを実施した。

アンケート調査実施の概要  

1.調査の対象 在日韓国人で1910年~45年の間に日本に渡航してきた者(ただし、渡航時に満12歳未満の者は除く) 

2.調査の時期 1982年10月25日~1983年1月15日 

3.調査の方法 国民登録台帳をもとに各地方に居住する在日朝鮮人の人数にほぼ比例するように調査票を割り当て、訪問面接による聴取を行なった。  

アンケート回収数 1106名


ブログランキングにご協力ください。

1988 在日本大韓民国青年会中央本部刊
「アボジ聞かせて あの日のことを 我々の歴史を取り戻す運動報告書」に、その調査結果を発表した。

それによれば、徴兵・徴用で来日した者は13,3%、86,7%は希望して来日したことがわかった。

076bb3c2

「好太王から朝鮮滅亡後まで」田端元著
「朝鮮学校の父兄に片っ端から来日理由を質問したが、ほとんどの答えが『半島では食えないから』だった。徴兵・徴用と答えた父兄は1人しかいなかった。困惑した。」 

「朝鮮人強制連行の記録」朴慶植著 未来社刊
とある在日朝鮮人1世の話

これが出たのが昭和40年のことぢゃ。  

中身はなんのことはない、戦中の徴用動員で鮮人が数多く内地に動員されたことを少々誇張して書いておるのぢゃが、書いていないこともあっての、当時は鮮人は日本国民ぢゃて、別に鮮人だけが徴用されたわけのものではない、日本人みんなが兵役やら徴用やらでお国のために働いておったということぢゃ。 

前にも言うたがの、徴用で来た鮮人はたしかにおったし、数もおおかったのぢゃが、これらはみな戦後の間もないうちにさっさと帰国しおったでの。 

後に残ったのは、戦前から来ておるものか、斡旋で来て家族を呼び寄せたものか、徴用で来てもあまり大きな声ではいえぬ事情で帰れなくなったものぢゃて。 

また、いったん帰国してから食い詰めて舞い戻ったものも少ない数ではないのぢゃ。
戦後しばらくは炭坑などでは人手が不足しておったでの。戻っても働き口はあったのぢゃ。 
細かいことを言い出せば、この連中は密入国ということになるの。  

なにやらの調査では、在日鮮人の一世の1割と少々が、斡旋やら徴用動員できたものとなっておるらしいがの、戦後のどさくさに密航してきたものも、ここに入っておることぢゃろうて。  

まさか、正直に密航してきたとも言えんぢゃろうからの。  
そもそも、強制連行などという言葉はこの本がこしらえた言葉ぢゃよ。

この後、繰り返して鮮人どもが使うようになったがの。  
何を妙なことを言い出すかと思ったがの、結局は、鮮人が日本に居残るための言い訳を考えはじめおったのぢゃろうて。 

ぢゃが、昭和も40年頃になると、戦前戦中のことなど知らん連中が高校生やら大学生くらいの年頃になっておったで、この連中がすっかりとだまされての、なんと無理やり連れてこられて、国に返してもらえんとは気の毒にと思い込んだものぢゃ。  

まだまだ、日本を目指して経済難民がやってくるようになる遥か前のことぢゃ、日本人は残留孤児のように凄惨な境遇のものを除けばみな外地から引き揚げてきたで、鮮人が帰国せんのには、なにやら悲惨な事情があるのぢゃろうと考えるものがおおかったでの。 

なにしろ、戦後生まれの連中はの、鮮人が日本国民であったころの本当の姿を見ておらんで、鮮人どもは、まんまと「気の毒なひとたち」「かわいそうなひとたち」という印象を売り込んだのぢゃ。  

なんと言うたかの、団塊世代と後に呼ばれることになった連中ぢゃよ。
これがまた、あれこれと騒動をおこすのぢゃ。

それにな、言葉もまだ少々不自由な在日鮮人の一世にくらべて、この代の鮮人はもう外見上は日本人ぢゃで、同じ日本人が差別されておるとも見られるようになってきたのぢゃの 

ブログランキングにご協力ください。