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倭奴国金印をもらったには日本国ではなくて単なる町、という推測に反響がありましたのでご紹介いたします。
歴史マニアの方のようです。

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漢の倭の国の奴王の金印の話ですが以前から私が疑問と疑いと推測した私なりの説を紹介したいと思います。
King_of_Na_gold_seal

ご存じシナは柵封体制(さくほうたいせい)を敷き「シナに近いほど偉く遠ざかるほど卑しく動物に近いという中華思想で我こそは世界の中心でほかの民族は

人間でないので人間である中華に従うのが獣の道理」という身勝手な考えを持っていました。それはボーズさんが取り上げた金印にも表れています。

つまり順番的に玉印(ぎょくいん)→中華文明の皇帝のみが使用できる。
金印→中華様の隣、又はそれより少し外側でも重要な国
銀印→金印を貰った国の外側、又はそれより少し外側でも重要な国
銅印→一番外側の勢力範囲の国で中華様にとってはどうでもいいが貢
物をくれるから「王として認めてやる」程度の国

な訳ですが当時の朝鮮王は銅印しか貰えず我が日本は金印を貰っております。
中学時代からおかしいと疑問に思い自分なりの推測はこうでした。

日本には糸魚川から産出される翡翠(ひすい)がシナ皇帝が使う玉印と同じ材料又は価値がある。
※現在でも翡翠は日本、北欧の某国と数カ国しか産出されない

のでシナ皇帝にとっては日本の天皇が翡翠でハンコ使われたら困るのと、その翡翠が欲しくてたまらなかったので
「金のハンコやるから俺と付き合え。俺の国にはこんないいものがあるぞ。仏教の経典や儒教、兵法書その他書物があるぞ。だから貿易をしよう。」
というのが私の見解でした。

しかしネットや書物を読んだ所、真相は「日本の絹織物、金、工芸品やその他特産品」がシナでは珍重され喉から手が出るほど欲しくてたまらなかったそうです。

要するに昔からメイド・イン・ジャパンを持つ事がステータスだった訳です(笑)

日本側は仏教典、兵法書、儒学書、歴史書、文化教養書などや陶器、銅銭を持ち帰ったそうです。
その後遣唐使になりシナから魅力ある輸入品が無くなった為にシナとの交易は廃止になったそうです。

シナとの交易廃止は現代日本同様に「民度が低い奴と付き合っても損だが利益が出る間は付き合い用済みになったらサッサと切ろう」ではなかったのかなと思っています。

当時シナは日本を「倭奴」と呼んでいましたがこれは今でいう「チビの奴隷」という意味です。

シナが名付けた国名には匈奴、東胡、烏桓、靺鞨、鮮卑、突蕨、吐番、蒙古、烏孫とありそれぞれの意味は
匈奴→不吉な下郎  
東胡→東の野蛮人  
烏桓→冠をかぶったカラス 
靺鞨→サソリのような奴  
鮮卑→貢物を寄越さない卑しい人 
蒙古→無知蒙昧な奴 
烏孫→カラスの末裔

と散々です。卑弥呼も「卑しい」という字があてられていますから当時のシナから見下された存在と思います。

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日本人の奴らのことを支那(=支えが無い)と呼んでますのでどっこいどっこいでしょうかwww

日本の品物が奴らにとって貴重であった、という話は新鮮でした。教えてくださりありがとうございます。

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