アカや外国人混じりの文字通り非国民たちによって、夫婦別姓や同性婚といった「婚姻制度の破壊」が推進されています。
実際の実験結果がありましたのでご紹介いたします。
夫婦別姓や同性婚の弊害として拡散していただけたらありがたいです。
 

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ニコラス・S・ティマシエフ「ロシアにおける家族廃止の試み」より
http://www.oct.zaq.ne.jp/poppo456/in/b_cobet.htm

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※腕組みする「ぱよぱよちーん」の勇姿

 1917年、ロシアの共産革命によって政権を掌握した共産党及び革命政府の 施策は多くの抵抗に遭遇した。ソ連政府はその原因を家族、学校、教会にあると 考え、革命を成功させるため、家族の絆を弱め、教会を破壊し、学校を革命の担 い手に変えることとした。「旧秩序の要塞・伝統文化の砦」とされた家族に対す る攻撃は次のように行われた。

 一、従来、法律婚の要件とされていた教会での結婚式を不要とし、役所での登 録だけで婚姻の効力が生ずるものとした。

 二、離婚の要件を緩和し、当事者合意の場合はもちろん、一方の請求だけでも 裁判所はこれを認めることとした。

 三、犯罪であった近親相姦、重婚、姦通を刑法から削除した。

 四、堕胎は国立病院で認定された医師の所へ行けば可能となり、医師は希望者 には中絶手術に応じなければならないことになった。

 五、子供たちは、親の権威よりも共産主義のほうが重要であり、親が反動的態 度に出たときは共産主義精神で弾劾せよ、と教えられた。

 六、最後に、1926年には、「非登録婚」も「登録婚」と法的に変わらない とする新法が制定された。

 この結果、一、同居、二、同一家計、三、第三者の前での結合宣言、四、相互 扶助と子供の共同教育、のうちの一つでも充足すれば、国家はそれを結婚とみな さなければならないこととなった。
 これにより、「重婚」が合法化され、死亡した夫の財産を登録妻と非登録妻と で分け合うことになった。

 こうした反家族政策の狙いどおり、家族の結びつきは1930年頃には革命前 よりは著しく弱まった。

 しかし、彼らが予想もしなかった有害現象が同時に進行していた。1934年 頃になると、それが社会の安定と国家の防衛を脅かすものと認識され始めた。

す なわち、
 一、堕胎と離婚の濫用(1934年の離婚率は37%)の結果、出生率が急減した。 それは共産主義国家にとって労働力と兵力の確保を脅かすものとなった。

 二、家族、親子関係が弱まった結果、少年非行が急増した。1935年にはソ 連の新聞は愚連隊の増加に関する報道や非難で埋まった。彼らは勤労者の住居に 侵入し、掠奪し、破壊し、抵抗者は殺戮した。汽車のなかで猥褻な歌を歌い続け、 終わるまで乗客を降ろさなかった。学校は授業をさぼった生徒たちに包囲され、 先生は殴られ、女性たちは襲われた。

 三、性の自由化と女性の解放という壮大なスローガンは、強者と乱暴者を助け、 弱者と内気な者を痛めつけることになった。何百万の少女たちの生活がドン・ファ ンに破壊され、何百万の子供たちが両親の揃った家庭を知らないことになった。

 

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